一度は訪れようと思っていたドブロブニク

dubrovnik一度は訪れてみたいと思いはじめたのは1980年代に見た雑誌に掲載されていた一枚の写真だろう、紺碧のアドリア海を背景にした城塞都市、こんな美しい景色がヨーロッパ(アドリア海沿岸地方)にはあるのだなあと漠然と脳裏に記憶された。クロアチア、ドブロブニク・・・、1985年にヨーロッパ旅行をしたときにはアクセスが悪い(鉄道で行けない)というだけでスキップしてしまった。  同時期、塩野七生著、海の都の物語−ヴェネツィア共和国一千年の・・・を読んでいたこともあり益々興味が沸いたが、80年代には足を向けるチャンスはなかった。  リゾートブームが80年代後半からはじまり世界の観光地が紹介された雑誌が店頭に並びドブロブニクも沿岸リゾートとして紹介されていたが、冷戦構造の崩壊とともにユーゴスラビアが崩壊へ向い、内戦に突入、益々ドブロブニクを訪れるチャンスが遠のいてしまった。  そして、2004年、ボスニア・ヘルツェゴビナへ出張することになり、仕事の関係もあり、足掛け20年を経てドブロブニクに滞在する。【 滞在したホテル】.(2004年10月9日)

撮影ポイント

朝、ホテルを出てモンテネグロ方面へ車を走らせた。急傾斜地を掘削して建設したアドリアテック・ハイウェイは、丘を登り始めしばらくすると海側の視界が開けてきた。ふと、眼下を見下ろすとドブロブニクの全景が俯瞰できた。これだ、このシーンだ、20年前、雑誌で見たドブロブニク。

当然、車を急停車。といっても路上駐車するスペースはないのだ。しかたなくもう少し車を走らせると、展望台への入り口があり、そこが少しアルコーブになっており車が止められた。

絶景、絶景、絶景、道路を横切り(これは危険、交通量が多いし、走行速度が速い)、海側の路肩からシャッターを切った。朝もやが少しかかり鮮明ではなかったけど、城壁前の紺碧なアドリア海とドブロブニクのオレンジ色の瓦屋根、大理石の壁、これらのコントラストが最高に印象的だった。

先を急いでいたので展望台へは行かなかった。もう少し佇んでいたくなるような絶景ポイントでした。

(道路は2車線、交通量が多し、路肩がほとんどありません、道路の横断には十分に気をつけましょう。それから路肩がほとんど無く、ガードレールの外側は急傾斜地、ややもすると転落しかねません。).(2004年10月9日)

ドブロブニクの地図

dubrovnik dubrovnik

 

 

 

 

 

ドブロブニクで泊まったホテル(Grand Hotel Park)

Dubrovnikその1

左上:Ploce門の外、右上:Old Puca、 左下:Sponza Palaca、右下:Placa (Stradun)

.(2004年10月8日)

dubrovnik dubrovnik
dubrovnik dubrovnik

Dubrovnikその2

Bell Tower/ Placa (Stradun)/ Old Port.(2004年10月8日)

City Hall/ Old Puca/ Gate to Old Port .(2004年10月8日)

Dubrovnik Dubrovnik Dubrovnik
Dubrovnik Dubrovnik Dubrovnik

Dubrovnikその3

Most Bridge and Ferry Ternminal/ Road to Trestno/ Ploce Gate and Old Port .(2004年10月8日)

Dubrovnik Dubrovnik Dubrovnik

ドブロブニクに泊ったホテル

Grand Hotel Park

http://hotels.iio.org.uk/hotel_dubrovnik.htm

ボスニア・ヘルツェゴビナからアドリア海、プロチェへ出てアドリア海沿いに南下、ドブロブニクまで足を伸ばした。ホテルはサラエボから電話で予約、ハイシーズンの終わりだったせいか、まだまだ高止まりしていた。数日後からローシーズン料金になるとのこと。

ホテルは、旧市街から程近い海に突き出たLAPAD地区に位置している。割合小奇麗なホテルという印象だった。丁度湾の一番奥に位置し、部屋からはアドリ ア海が眺められ、その両側には急峻な地形にもかかわらず別荘や住宅が張り付いていた。経営はクロアチアの国営企業であるとの従業員の弁。滞在客は、時期的 なこともか北ヨーロッパの年金生活者が多かった。朝食は並、宿泊料金は90EURO/nightと高め。.(2004年10月8日)

ドブロブニク

リンク

ドブロブニクの天気

Click for Dubrovnik, Croatia Forecast